信じてくれる相手がいて

「僕らがいたころはね、作り方なんて教えてもらえなかったよ」と男性。

「それ、パワハラになるんじゃないですか? 考えられないですよ。私たちの世代だったら訴えられたりしますよ」

厳しかったんだよ昔は、などと男性の話に花が咲いている様子です。隣で話を聞く女性は20歳ほど年が離れているでしょうか。どういったご関係でしょう。会話の雰囲気から推測するに、親子ではないように思えます。

 

「メモはとるなって言われたよ」

「どうして? 覚えられないじゃないですか」

「そうだろ? そしたらその先輩がさ、頭に焼きつけとけって言うわけよ」

「めちゃくちゃですね、もう」

そうだろうと男性が深い声で返事をしてうなずきます。

昔はどこも大変だったのかなと聞いていて思ったのですが、その後の発言から、私はその男性に違和感を抱き始めました。

「老舗(しにせ)の天ぷら屋にいたころなんか大変だったよ」

うなずいた女性が、いったん前を向いた後、再度男性の方に向きなおって言いました。

「あの、天ぷら屋は分かるんですけど、老舗って、なんですか?」

驚いた様子の男性でしたが、すぐに気を取り直し、

「ああ、そうか、今は老舗って言葉使わないのか。あの、あれだ、昔からやってるお店のこと」

ああ、そういうことかと言ってうなずく女性。

うーん。知らないものかな、老舗。

「そこにいたときはさ、油の温度は正確にって言うから、何度くらいにすればいいんですかって聞いたんだよ。そしたらさ、手入れてみろって言うんだよ。この油の温度だから手入れて覚えろって言うんだよ。ばかやろう、やけどするだろっつーの」

「それ、パワハラじゃないですか!」

パワハラ、連発するなと思いました。でも事実なんだろうと思いましたし、油の温度くらい教えてやったらいいのにと自分も思います。男性の方は、再びそうだろうと深い声で返事をします。

「実はさ、ここの店でも働いてたことあるんだけど……」

えっ、ここで? ハーグスで? あの人が? 驚きです。てことは、先輩だったのか。知らなかった……。

「あ、だから○○さんおすすめのメニュー知ってたんですね」

そういうこと、と男性はしたり顔。

「もー、ひどかったんだから、ここは」

言うなよと人差し指を口にあてると女性に顔を近づけて小声で言いました。と言っても、深く響く声なのでつつぬけです。

「客が残した料理があるだろ、それ捨てずに、厨房のスタッフが全部食べつくすんだよ。廃棄ロスなくすために」

いやいやいや、うそー!? ほんと? 嘘つかないでって。そんなの見たことないようちの店で。

「パワハラじゃないですか、それ」と女性が手で口を覆います。

いやいや。それがほんとだったら、パワハラうんぬん以前にその店おかしいでしょ。

 

審議を確かめるために、すぐに店長に確認に行きました。

「店長、あの人知ってますか? あの女性と二人でいる人。昔、ここで働いてたらしいですけど」

「知らない」と店長。

他のスタッフに聞いても知らないとの返事が。ということは、あの人は何者なんだ?

冷静になると、真実は見えてくるものです。

あの男性はほら吹きであること(いくつかは事実かもしれないが)。またそれらは、だまされる相手がいて初めて成立しうること。

女性が連れの男性に聞きました、

「聞きたかったんですけど、廃棄ロスってなんですか?」

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

コメントフィード

トラックバックURL: http://www.iyashinohaugstuhain.com/%e5%8d%81%e4%b8%89%e5%a4%9c/%e4%bf%a1%e3%81%98%e3%82%8b%e7%9b%b8%e6%89%8b%e3%81%8c%e3%81%84%e3%81%a6/trackback/