6月2014

体の時間感覚

昔は思い通りにできたことが出来なくなってきている。そのことに最近よく気づかされます。自分は若い、そういう気持ちは特にありません。

ただ、やはり折り返し地点はとうに過ぎているわけです。

熱帯魚と市場の魚

家で飼っていた熱帯魚が死にました。小さくて、かわいくて、思い入れがありました。死んだ後、金魚鉢からすくい上げ、包につつんで葬ってやりました。

一方で、市場で買ってきた魚を使わずじまいで捨てることになったとき、同じ魚なのに扱いが全く変わります。

ゴミ箱へ、捨てていないでしょうか?

少なくとも、私の知る限り、「手厚く葬っている」という人を私は知りません。

だからこそ「いただきます」「ごちそう様」というせめてもの言葉なのでしょうか。

 

当時の自分が今の自分を見たら

実家の自分の部屋を整理していると、小学校の頃に使っていた文房具やノートやらが出てきました。

こんなものを使っていたんだなと懐かしく思い、意外に自分の筆致が現在とさほど変わっていないことにも驚きました(進歩していなかったようです)。

当時の自分が今の自分を見たらどう思うか。背は伸びているか、恥ずかしくない恰好をしているか、中身は変わっているか。

変わっていく自分を肯定できない気持ちは少なからずあります。よかれ悪かれ、自分が自分でなくなってしまう怖さがあるからです。

「何をセンチメンタルに、ナルシストぶっているんだ」とお叱りの声が聞こえてきそうですが、自分が向かっている方向をはっきりさせないと不安になるたちなので。

この点については慎重でいよう。そう考えています。