7月2014

会社がつらいと、

朝って短い。どうしてだろう。

起きて、短い時間でご飯を食べる。

直後に歯を磨くのだが、口の中に化学物質の味がたちこめてきてげんなりする。

ネクタイを締めれば、なぜか分からないが、吐き気がこみあげてくる。

だけど、

「社会人たるもの……」というオジサン達の声。女性たちの「ピシッとしてない男の人って駄目な人」と言っている姿を思い浮かべる。

しょうがない。

男だって外見の決まっている女性を魅力的だと言っているじゃないか。

自分にそう言い聞かせて家を出る。

ようやく満員電車に揺られて着いた会社。

そこでは毎日、失敗できない未知の業務が今日もよろしく待っている。

 

楽しければいいのですが、会社がつらいと、全てが苦しい。

この流れから解放されたい。

そう思っていたのが以前の私です。

 

 

気づくには、

図書室で本を読んでいた時、ふと考えることがありました。

「もしも図書館がなかったら?」 と。

そうなると → 本と出会えない。本を買うしかなくなる。買えない人は、家にある本しか知らないまま。つまり、自分の生活する環境以外の情報を獲得することができない。

これらはごく一部ですが、自身のいる環境外の情報を獲得することが出来なければ、同じ考え、同じ環境の中で一生ぐるぐるとまわり続けることになります。

もし、その環境の外側に真理がある場合は、その人は真理にたどり着けずに一生を終えることになります。

ただ、そのことに気づくには、心の中で抗う何かが必要になります。現状の何かがおかしいと訴えてくる自分の内側にある何かです。

ただ、それが出てこないという個人がいた場合、それはその人にとっては問題のない環境ということになるのでしょう。

結局、問題は個人によりけりということなのでしょうか。

よく、分からないままです。

 

 

今しか分からない

テレビを見ていて、今の若い女の子たちは少しファッションが抑え気味かなと思うときがあります。

当時はきわどい服装が許容されていました(今の時代から見ると)。自分なりに考えて行動してはいたのですが、それでも、時代の流れにいつのまにか乗っかってしまった結果、大胆な見せ方をしていたのだなと思います。

きっと親たちは心配していたはずです。それを考えると、今はとても申し訳なく思います。

でもおかしなもので、自分の子供が派手な格好をしていたら、トラブルに合うからなどと言って、縛り付けてしまうのも、なんだか人って勝手ですね(自分のことながら)。

目の前のことしか考えられなくなってしまう自分。

反省です。