十三夜

不要なものが分からない

働いていると、ご褒美に、何か自分に買い与えてやりたくなります。後で冷静に考えると、特別それが必用と思わない物ばかり。

現代ファッションとは、ほとんどがそういうものの様な気がします。自分は男性ですが、女性ならその度合いはさらに高くなるのではないでしょうか。いずれにせよ、部屋の押し入れは、着なくなった服がずらり。しかも普段あまり着ないものの方が多いという不合理さ。

どれを残してどれを捨てるか見定めしていた時、昔使っていた財布の中に、いつか行った映画の入場券を見つけました。

「……」

これが不要なものだという人の方が多いのでしょう。でも、私には捨てられません。日付と時間の記されたその小さな厚紙が。

使うのは一生に一度。しかも、それはすでに役目を終えている。

 

こんな状態では、前に進めなくて当然です。

中古PC

パソコンを中古で購入した友人がいました。

「これ、買わない?」

と聞かれて、悪くないモノだったので、いくらだ?と聞こうとしましたが、購入そうそういきなりこんな話を持ちかけてくることにあやしさを感じました。

 

そのパソコンはネットオークションに出ていたものらしいのです。元値が高い製品なのですが、最初から修理する前提で販売されていたらしく、商品が到着してそうそう、電気店に行って修理をしてもらったのだそうです。取りに行くと、受け渡しのときに店員がどこか思わせぶりな態度をとったような気がしたとその友人は言いました。帰ってきてからパソコンを開くと、それを使用していた前任者のデータが出てきたのだと言います。

どんなデータが入っていたのかと聞くと、いったんは口をつぐんだ友人でしたが、私の顔を見て、言っても大丈夫か確認した後、

「遺書」

と言いました。

 

すぐには言葉が出てこなかった私ですが、いくぶん気持ちが落ち着いてから、

「消去したらいいんじゃないの?」

と言いました。すると友人は、それが出来ないのだと言います。

なぜ出来ないのかと聞くと、

「分からない。どんなにやっても消えない」と。

そんなことがあり得るのかと私は言いましたが友人は、

「あり得るのだから仕方ない」

いくらしたのかと聞くと、2万円で買って、修理が5000円だったと言います。

2万5千円という、まあまあの値で購入したことで、そのまま廃棄するという決断に踏み切れないと彼は言います。

 

今は価値が変わっていても、購入時の時価をいつまでも心の中でひきずってしまう。そんなくせがとれないうちは、正常な判断は下せません。

外部の意見の是非

「こうした方がよい」という意見をネットのコメント等でよく目にすることがあります。考えたのですが、外部の人というのは客観性を持った意見、判断、評価をすることが出来るのではないかと思いました。

そこであえて、外部の人たちを集めて、ハーグストゥーヘンに必要なものは何か、アイデアを募ろうと、私の知り合いの何人かに集まってもらい、ミーティングを開きました。

 

「ひげのり。ラーメンにのせるノリの形を、俺のこのヒゲみたいにする」元文学青年。

「それはよくあるでしょう。そうじゃなくてあたしのこの服みたいに麺をピンクにするのとかは?」アパレル派遣社員。

「思い切って、かびを入れるのとかは? 食べられるかび。故郷の味のするかび」科学研究所契約職員。

パートの銀行員受付の一言。これには期待値が上がりましたが、

「一万円ラーメンとかは、だめ?」

 

結局なぜか、皆、ラーメンにはこだわってしまっていました。ハーグストゥーヘンが特別ラーメンに力を入れているわけではないにも関わらず。

最後にファイナンシャルプランナーの資格を持っている人物が一言、

「今のままでいいのかも」