木抜

何か一つ熱中できるものを

以前バーで(安いバーです)、僕よりも年上の人に言われたことがあります。

「何か一つ熱中できるものを見つけなさい」

 

その人は言った後、鞄の中から財布を取り出しました。黒の長い財布でした。馬の革で作られていると言っていました。僕には似合わないけど良い財布だなと思ったのですが、その人はもう一度、鞄に手を入れると、今度は別の財布を取り出したのです。

え、なんで?と思いました。先に出した財布と色が違うだけ。あとは全く同じ形。それはクリーム色だったのですが、次に出したのは緑、その次が青、その後に赤。なんと五つも同じ財布を鞄の中に入れていたのです。

「どうして、と思うでしょう」

うなずいた僕にその人は、

「これが熱中できるということ」

それらの財布には、お金やカードは一切入っていないと言います。だから盗まれても大丈夫なんだとか。でも、大切なその財布自体をとられたらどうするんですかと聞くと、

「盗まれないでしょう、お金がはいっていないんだから」

いやいや、お金が入ってないことを知ってるのはあなたご本人だけじゃないですか、とつっこみをいれたくなったのをぐっとこらえました。

 

その人は財布と一緒にいられることが幸せだと言います。その感覚は僕には分かりませんでしたが、バッグの中の財布をまるでペットのように見つめながらお酒を飲むその人は十分に幸せそうでした。

人生の充実とは

僕は時々、自分を高めようと、敷居の高いバーに赴くときがあります。場違いなのは重々承知の上で。

ちょっと離れた席からは、僕よりいくらか若い男性が二人、カクテルを前に話をしています。それを気づかれないようにすまし顔で聞いてみました。多分、いいところの会社の人たちだと思います。

 

「あの人さ、仕事できるって自分で思ってるよな」

「な。分かる。だからたぶん、趣味とかないよ、仕事だけで。あったらあんなにやらないもん絶対」

会社の上司のことか同僚のことか分かりません。でも、あまりよく思っていないのでしょう。

「おとといかな、その前の日くらいだったか、テレビでやってたんだけどさ、ツーリングあるじゃん? あれさ、いろんな人がやってるみたいよ。女の子もけっこうやってるみたいだからさ、ありじゃない? 初心者歓迎らしいし」

「あー、ツーリングね。いいかもね。行くか、一回、やるか」

そんなこんなで二人は話がまとまった様子です。

 

でも、だけど、この二人の話を盗み聞きしておいてあれなんですが、仕事が全てというのは、本当に、悪いことなのでしょうか? それが楽しいのであれば、充実しているのであれば、それは良い人生の過ごし方なのではないでしょうか?

二人はバーで飲みなれている様子で、注文の手順も手慣れている感じでした。

考え方の違いか、それともただ僕の考えがだめなのでしょうか。

微妙なライン

いくら中古が安いからといって、欲しいと思わないものがいくつかあります。

使用済みの下着。歯ブラシ。洗浄済みでキレイだからと言われても、僕は嫌です。

その《良い・嫌》の微妙なラインのモノを今日、スタッフの井上さんが着てきました。

 

出会いがしら、「いいな」と思いました。井上さんが着ていたのはジャージです。有名ブランドのもので、デザインも僕好みでした。ただ、

「あれ、○○大学?」

うなずいた井上さん。

「しかも、これ、○○よしひろって?」

うん。とうなずく井上さん。

「でも井上さん、よしひろって名前じゃないですよね?」

そうだよ。だから?という表情で井上さんが僕を分からなくさせます。

安かったんだよこれ。サイズもぴったりで大当たりだったとしたり顔です。

僕は何とも言えなかったのですが、とりあえずその場しのぎに、

「安いのは本当に助かりますよね」と言うと、

「いや、違うよ。デザインだよ」

と言って、刺繍された大学名とよしひろの部分を指でなぞって、

「ここが一番ぐっとくる」と言いました。